毎月5日は2月に他界した父の月命日。
先週の5日も母が手料理をお供えして小さな法事を行った。
その次の日、母から電話があった。
「メーテル、月命日の夜に、お父さんが夢に出てきたよ」
父は時々母や私の夢に登場していた。
どんな感じだった?と尋ねる私に母はこう言った。
「お父さんな、『俺、もう家出るから』って言って、
リュック持って家出て行ってん」
母の夢に出てきた父の姿は、
他界する直前の、年老いた少し痩せたそのままの父だったそうだ。
そして、いつも出かけるときに持っていたリュックサックを背負って、
父は家を後にした・・・。
父が他界してから家のことでいろいろあった。
そういったごちゃごちゃしていたこともある程度目処がつき、
母の悲しみもある程度癒え、
兄や姉も落ち着いた頃だ。
私は、以前は漠然とした不安や気持ちのムラがあったが、
不思議なことに父が他界してからすーっと心の重いものがなくなった。
兄弟たちも、皆表情が柔らなくなり良い方向へ向かっている気がする。
父が家族の負担を軽くしてくれたような気がする。
家族の様子が良くなってきたことを確認して父も安心したのだろう。
母は少しホッとしたような声で
「お父さん、天国に行ったよ」
と言った。
亡くなったのが突然で、別れの言葉も何もなかったが、
夢の中で、母にちゃんと挨拶して行った父。
これからも天国で見守ってくれているね。
またいつか会える日まで・・・。
先週の土曜日は父の76回目の誕生日だった。
母は父と結婚して以来、父の誕生日には欠かさず、
赤飯と、鯛のお頭つき塩焼き、それにいろんなお惣菜、
様々な豪勢な料理を用意する。
母が前の日から全て手作りして、
朝、家族全員が父の元に集まり。
両手をついて、「おめでとうございます」と挨拶する。
東京や長野に住んでいる兄たちも、
盆、正月より、父の誕生日に帰ってくることが多い。
そして、今年も、父は不在のまま、誕生日会は行われた。
母は前日からいつものように料理を作り、
兄弟たちは実家に集まった。
父は、朝、ゴミを出して、身奇麗にしてから亡くなった。
父は、私にゴミ出しだけはさせなかった。
なぜなら・・・
「お前が出したら、ゴミをあさる奴がおるかもしらんからな」
年頃の娘を守るための、父なりの対策だった。
父が入院中は、たくさんの方々にお見舞いをいただいた。
実際来てくださった方、手紙やメールでメッセージを下さった方。
お祈りしてくださった方。
その中で、父とは面識はないが、ある方が、私あてに素敵な詩を紹介してくださった。
〜大きな苦しみの中にある人たちの詩〜
ニューヨーク州立大学病院の壁に書き残されていて、
作者は不明だが、全世界で感動を与えた有名な詩である。
大きな事を成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙虚を学ぶようにと弱さを授かった
より偉大なことができるようにと健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱をあたえられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人の称賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった
求めた物は一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬ物であるにかかわらず
心の中で言い表せないものは全て叶えられた
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されていたのだ
この詩と父が結びつくということではないが、
とても感動したので、ここでご紹介させていただいた。
表面的な欲望は満たされていなくても、
心の奥底の願い・・・私たちも気づいていない魂の深い願いは、
全て、叶えられた。
それを叶えるために、神様は試練をお与えになった。
そう作者は考えたのだろう。
父の誕生日。
そして、父の日。
家族の心の中では行き続けている。
私も一緒に祝いたかったな。
その日は・・・リゾート地で遊んでたけど(笑)、
心は父のそばにいたよ。
帰国すると、このブログの記事に「会いたい」シリーズが登場する。
また少々重い話になるかもしれない・・・。
父が他界して、母はスーパーに買い物に行くのがつらい、と言っていた。
長年の習慣で、父にどんな料理を作ってあげようか考えてしまうからだ。
だが、私が帰国してからは、やっと普通に買い物ができるようになった。
娘に美味しいものを食べさせてあげたい、という気持ちが強いからだ。
それはそれで良かった。
私は・・・いまだに大好きな音楽を聴けない時がある。
父を思い出すからだ。
父は本当にクラシック音楽が好きだった。
いつも家では音楽をかけて、オペラの楽曲などは一緒に歌い・・・
私の持っているCDもほとんど父が好きなものと重なる。
半目を閉じて気持ち良さそうにリズムを取って聴いている父を思い出し、
涙が出て思わず音楽を止めてしまうことがある。
晩年はそんな穏やかな父であったが、
時々家族の誰かが、だらしない生活をしていると怒鳴ることもある。
孫が出来てとっても穏やかになったが、
昔は近所でも有名なほど厳しい父だった。
まあ、やんちゃ盛りの5人の子どもを育てるには
それくらい厳しくなければ統率がとれなかったのかもしれない。
そんな父に怒鳴られた時、母は、こう言っていた。
「肝臓の悪い人は、怒りっぽくなるからね。
だからお父さんは相当我慢してるのよ」
母のこの言葉によって、父に怒鳴られた悲しみが、
「お父さんはすごいんだ!忍耐強い人なんだ!」
という父を尊敬する気持ちに変わっていった。
もう肝臓を患って20年以上になる。
確かに、肝臓に疾患のある人は、すぐにイライラしたり、怒りっぽくなるらしい。
母も、父には理不尽に怒鳴られたりしたこともあったはずだ。
今は熟年離婚も増えている。
相手に理解がないと、理不尽な態度に夫婦の関係がおかしくなることもある。
それでも、母は、そいういう父を理解し、
私たちに、父の尊厳を保たせるように言い聞かせてくれた。
そして父が肝臓ガンの告知を受けたのが、4年ほど前。
手術で腫瘍を取り除き、退院してからは普通の生活ができるようになった。
父は誰かの世話になるのが嫌いだ。
自分の部屋の掃除から、布団の上げ下ろし、身の回りのことまで全て自分でしていた。
ある日、母がNHKの番組を熱心に観ていた。
それは、癌に苦しむ人たちのドキュメンタリーだ。
痛みを緩和するケアや、死を待つだけの人・・・
私は、何だか観るのがイヤで、こう言った。
「何でこんな番組観るの?他のチャンネル回そうよ」
すると、母はこう言った。
「あなたたち、お父さんは何でも身の回りのこと
自分でするからと言って、
大きな病気を抱えていること、忘れてるでしょ。
どれだけ痛い思いをしているか、
ちゃんと知っておきなさい」
と、一緒にテレビを観るように諭された。
母は、父の痛みを知りなさい、と言いたかったのだ。
確かに、父が癌だということは分かっているけれど、
私たちと同じように生活していると、
大きな病気をしているという感覚を忘れてしまう。
母は、もっと父を大事にしなさい、
と言いたかったわけだ。
私たちはどうしても、まずは自分のことを理解してもらいたい、と思ってしまう。
けれども、
理解されることよりも、
理解しようとすること。
それを母から教えられた。
そんな母でも、父に何もしてやれなかったと、後悔と悲しみに暮れていた。
完璧な妻なんてどこにもいない。
けど、父がここまで長生きできたのは、紛れもなく母のお陰である。
きっと天国で「よくやってくれた」と言っているはずだ。
そして、今回帰国して、以前より少し元気になった母がいた。
私も4月に帰国したときは・・・
飛行機に乗っていて、気流の悪いところを通過して機体が大きく揺れたとき・・・
「このまま落ちたら、父に会えるな・・・」
なんて考えて変な笑みを浮かべていたが(笑)、
もうそんなことも考えなくなった。
今は、父に天国で叱られないように生きていこう、と心に誓っている。
そして、母から学んだ、相手を理解する心。
私もそういう人間になりたい。
そうなると・・・
将来私の夫となる人は幸せだな〜!!ウフフフ♪
あ〜あ、最後にアピって(アピールして)しまうこの私・・・
まだまだ修行が足りません!
まずは、こんな私でも理解してくれる人を探そう・・・(m。_。)m
今、日本に帰国するために、バンコクの空港にいる。
この「会いたい」シリーズでは何を書くのか、
ご存知の皆さんも多いだろう・・・。
海外出張の帰りに免税店で必ず買うものがあった。
それは、"MILD SEVEN" というタバコ・・・
父へのお土産だ。
ショッピング街をブラブラしていても、
父に似合いそうなポロシャツなどに目がいってしまう。
海外には大きいサイズが豊富だからだ。
クラシックやオペラのCDを見ると・・・
それらが大好きな父のために買って帰ろうなんて思ってしまう。
私が出張するたびに、
父は、その地域の天気予報を必ずチェックしていた。
「寒いから着るものに気をつけなさい」とか、
電話をすると、「香港は気温30度やな、暑いやろ?」
などと、天候を確認しながら、私の身を案じている。
そうして出張中の新聞を取って置いてくれたりして待っているのだ。
そして私が帰宅したら・・・
父は、そこに私が存在しているだけで喜んでいる。
でも、もう、家に帰っても・・・
そんな父はいない。
そう思うとバンコクの街で泣けて泣けて。。。
。・ ゚・。* 。 +゚。・.。* ゚ + 。・゚・(ノД`)
そんな思いで眠った昨日の夜、すごい夢を見た。
父が生き返ったのだ!!
「お父ちゃん、生きてたの?!」
もう嬉しくて嬉しくて。
父が他界した日は、偶然(いや、必然?!)にも、
父方の祖父母の法事の日だった。(現実にそうだった)
父は生き返り、痩せて年は取っているものの、
祖父母の法事をテキパキと取り仕切っている。
母も叔母も嬉しそう。
夢の中でこんなに感情が高ぶったのは初めてかもしれない。
それくらいリアルに嬉しかったのだ。
そして目が覚めて・・・
現実を知った。
それでも、意外と目覚めはスッキリとしていた。
悲しい、と思うよりも、
嬉しい気持ちがまだ残っている感じだ。
早速、夢を調べてみた。
死者が生き返る・・・というのは、
「私の中でダメだと思っていたことが復活したり、
新たな可能性が開ける」
などと割と良いことが書いてあった。
まあ、私の場合は、父への想いが夢になって現れただけだと思うが。
父は朝、ゴミをきちんと出して、
手と顔を洗い、
ヒゲまで剃って、身なりを整えて、
その直後、意識を失ってそのまま天国へ行った。
身内自慢するようで恐縮だが、
綺麗好きな父らしく、
あやかりたいほど段取りのいい、見事な逝き方だった。
天候をチェックする父に、いつかこう言ったことがある。
「大阪って、地震も水害も被害が少ないよね」
すると、父はこう言った。
「お父ちゃんがおるから避けて通るんや」
あははは!ありえる。
そして、母はこう付け加えた。
「あなたたち、お父さんに感謝しなさい」
きっと私からも危険を遠ざけてくれているだろう。
皆さんもコメントに、
「いつも見守ってくれているよ」
と書いてくださるでしょうね。
分かっています。
きっとそうだろうと。
ここにこうやって書けるということは、
気持ちの整理ができているということ。
本当に辛くて、悲しみを受け入れられない時は、
こうやって感情を表現することも難しい。
そして、私の中の「父に会いたい、生きてて欲しい」という欲求を、
無意識に満たそうとして、夢を見る。
人はそうやってバランスをとって生きていくものなのだ。
私なんてまだまだ恵まれすぎてて、
「寂しい」なんて言ってられない。
もっと厳しい状況で苦しんでいる人もたくさんいる。
今ある周りのすべてに、心から感謝したい。
父がいなくても、母がいる。
姉や兄がいる。
帰る家がある。
応援してくれる友人、知人もいる。
健康な体も、何不自由ない生活も。
やりがいのある仕事も。
なんて幸せなんだ。
そして、それを素直に感じられる心を持ったのは、
幼い頃から両親が愛情で満たしてくれたからだ。
何事もプラスに変えられるような、私の中にある、この
強力なエネルギーは、
(私に関していえば、)
両親や兄弟からもらった愛情が土台となっているに違いない。
そう分析できるようになったのは、
保育士をしていた頃と、心理カウンセラーの資格を取った頃から。
人間は環境、特にかかわる人からものすごい影響を受けている。
その積み重ねによって自己評価が築かれていくのを、
子どもやクライアントを通して目の当たりにしたからだ。
そして将来、子どもが出来たら・・・私のすべきことは分かっている。
この「会いたい」シリーズは、どうしても重くなってしまうな。
しばらくはまだ、こういう記事も出てくるかもしれない。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
そして、さようなら・・・バンコク
(またすぐ戻るがな!)
オーランド2日目の夜、初めて亡き父の夢を見た
母のように、『夢に現れる』という感覚ではなく、
その夜父の写真を枕元に置いて寝たので、「会いたい」という願望の表れが夢に出た感じだ
私が父のそばで眠り、頭をなでられる・・・という夢
前回の「会いたい 2」に続きこのシリーズは少々重い話になるが、読んでいただければ幸いです
約5年ほど前、私がカウンセリングの勉強をしていた頃、
20代の女性の何人かが、お父さんを亡くされた話をしてくれた
ポロポロ涙を流しながら深い悲しみを語ってくれた
当時彼女の周りの人たちは、
「あなたがこれからはお母さんを支えていかないといけないね、しっかりしてね」
と口々に言われたそうだ
彼女ら自身も父親の死を受け止めるのに必死なのに、
お母さんのことを気遣う余裕がまだあまりない
周りの人たちの心配もありがたいが、自分のことで精一杯で、つらい、と語っていた
私が先日同じ経験をして、初めて彼女たちの気持ちを心底理解できた
ショックで何も考えられないのに、母のことを言われてもピンと来なかった
でも、数日たって、周りの人たちが言ってくださったことが理解できた
母の悲しみは私の数倍深いからだ
そして、カウンセリング中に彼女らはこうも言っていた
「それでね、今度はお母さんも亡くなったらどうしようって思うと怖くて・・・」
当時私は、そんなこと今心配しなくていいのに・・・と心の中で思ったものだ
だが、今、私が抱いている恐れは彼女らと全く同じだ
父が他界したときのショックを考えると、
今度は母が亡くなったらどうなるんだろう・・・と思うと怖くてたまらない
きっと耐えられない・・・なんて考えてしまう
もちろん、母は今のところ心配しなくても元気なので大丈夫だ
人は誰でも死を迎える・・・頭では理解していてもやはり感情が先に来てしまう
このふとよぎる不安や恐れはきっと経験した人しかわからない
これもクライアントの気持ちが理解できた瞬間だ
そして、私の親友のお父さんは2年半前に他界された
その親友は私の父が亡くなったとき、すべてを差し置いて飛んできて悲しみを共感してくれた
葬儀に2日間とも来てくれて、メールや電話で毎日のように慰めてくれて
月命日には教会のミサに一緒に参列してくれた
もちろん、周りの皆さまも心から慰めてくださって、本当に感謝している
その中でも同じ経験をした彼女の支えはとっても大きかった
私はその親友に何をしてあげただろうか?
彼女のお父さんのお通夜には参列させていただいたが
お葬式には出張で行けなかった
仕事の都合などで物理的に難しいときもある
が、彼女をもっと気遣う気持ちがあれば、そばにいなくても伝えられたはずだ
慰めのメールや電話をしてあげただろうか?
私にできる限りのことをしてあげただろうか?
彼女やそのご家族は、悲しい日々が続いたに違いない
私は忘れたかのように何もしてあげなかった
今、自分が経験して、やっと当時親友の味わった寂しさを理解した
そして彼女の無条件の優しさに心が洗われた
何もしてあげられなかったことを悔やみ、彼女に感謝を伝えた
すると、彼女はこう言った
「私も同じ経験したからね。それが少しでもメーテルの助けになれたなら、父に感謝しなきゃね」
私はこれでまた少し人の痛みを共感できる新たな引き出しができた
そしてそれは周りの人たちから日々学んでいる
重い話を書いてしまったので念のため確認させていただきたいが、
私が毎日悲しみに沈んでいるはずがないことは、
このブログを読んでくださっている皆さまはご存知ですね d(・ω・ )☆
オーランドでも毎日よく食べ、よく寝て、強がりではなく、隠しているのでもなく、
本当に素のままで、間違いなく一番元気だった
お陰さまで心も体もとてもバランスのいい状態でいる (@^ー^@)
私はどうやら、いろんな経験をすべてバネにするようだ
それが父も一番喜ぶだろうから・・・
。+゚☆゚+。Y⌒Y⌒Y。+゚☆゚+。Y⌒Y⌒Y。+゚☆゚+。ヾ(*´ω`*)ノ゙マタアウヒマデ♪
昨夜、またまた母の夢に亡き父が現れた
父は、「家の近くに新しくできた洋服屋に行ってみたが、若い人ばかりで引き返してきた」と言って
その洋服屋のチケットを母に見せたらしい
これで母の夢に現れたのは4回目だ
少々重い話になるが、父は27年前、48歳のときに、急性胆管炎という病気で突然倒れ、
生死をさまよった
それまで風邪一つひいたことのなかった働き盛りの頃である
私はまだ幼かったので記憶は断片だが、家族や親戚が病院に呼ばれ、
最後のお別れをするように促された
当時18歳の長男以下、5人の子どもはまだ幼い
危篤状態で意識はないのに、父は、子どもの名前を順番に大声で叫んでいたらしい
そして緊急手術が行われ、大量の輸血をし、奇跡的に一命をとりとめた
が、そのときの輸血で父はC型肝炎に感染した
ニュースにもよく出る、薬害である
感染したC型肝炎から、肝硬変、そして肝臓ガンへと体は蝕まれていった
私が父の薬害を知ったのは大人になってからだ
そんなの、病院の責任、いや、元をただせば厚生労働省の責任だ!訴訟問題だ!
と怒る私に、父はこう言った
「でもな、その輸血でお父ちゃんの命は救われたんや」
・・・確かにあの時、その血液がなければ父はこの世にいなかった
私は幼くして父を亡くし、5人の子どもを抱えた母は路頭に迷っていただろう
父は病院からの何らかの説明や謝罪に対しても、怒るどころか、感謝を示した
そうやって、母も私たち兄弟も、恨みや憎しみから完全に解放された
あのとき父が、感謝ではなく、恨みを選択していたら・・・
私たち家族は未だに悲しみと怒りのどん底にいたかもしれない
*もしかすると誤解を招いたかもしれませんが、私は薬害を肯定するつもりはありません。ここでは、一個人の経験談として読んでいただければ幸いです。薬害で苦しんでいる人たちの思いは決して父と同じではなく、それぞれの事情があります。少しでも癒されますように、そして、薬害が根絶するように、祈りたいと思います。
私も夢で父に会いたい
でも、母のそばにいてくれているのは確かだ
私が海外に行ってしまうので母のことがとっても心配だったが
父がいてくれるなら安心!
なんだか今日は重い話になってしまったな・・・
あっ!お気づきの方も多いかと思いますが、
父もまた、リフレーミングをしたということになる!
(リフレーミングの詳細は「ものの見方・考え方」という記事を読んでいただければお分かりいただけるかと思います)
今朝、母が私の顔を見るなり、お寿司を買ってきて欲しいと言った
メーテル 「どうしたの?」
母 「昨日、お父さんが食べたいって言ってたから」
Σ(゚□゚(゚□゚*)ナニーッ!!
夢に父が出てきたそうだ
そして、父は、「寿司買いたいけどお金どこに置いてある?」と母に言ったそうな
お寿司は父の大好物
メーテル 「昨日が夢に出たのは初めて?」
母 「二日前くらいにもあったよ」
w(°0°)w オォー
その時の夢は、母が外から帰ってきてみると、2階で父がいつものイビキをかいて寝ていたらしい(父は寝るのがとっても早かった)
そして、母はその寝ている父の隣で一緒に寝たと・・・
死者が身内の夢枕に立つことは聞いたことがある
まさか本当だったなんて!!
そして母はなんだか嬉しそう (^−^)
私も会いたい・・・少しでもいいから顔を見たい。声を聞きたい
そこで父の遺影の前で一生懸命祈った
「お父ちゃん、メーテルのところにも来て下さい!お願いします」
私は5人兄弟の末っ子だから、順番からして5番目か・・・
そしたらまだちょっと時間がかかるかな・・・なんておかしなことを考える
きっと夢で会おうとしても私が爆睡してるから気づかないんだろうな・・・
などなど・・・でも私もなんだか嬉しい
もし、本当に夢で父に会えたら・・・
まっ先にここで報告させていただきますね (*´ー`)
親愛なる皆さまへ
2月5日午前8時頃、最愛の父が天国へと旅立ちました。75歳でした。
その日の早朝、父は日課であるゴミ出しをし、家に入って手を洗っている時に意識を失って倒れ、心臓が止まり、そのまま帰らぬ人となったのです。
肝臓ガンを患っていましたが、小康状態を保ち、普通の生活はなんら問題なく送っておりました。
あまりにも突然で家族はまだ実感がありません。
でも父は生前から、看病や介護などで誰にも迷惑をかけたくない、と常日頃言っていました。
まさに、父の望む通りの臨終を迎え、全く苦しむことなく、本当に安らかに穏やかに美しい顔で眠りました。
父との思い出は語りつくせませんが、私は父が注いでくれた計り知れない大きく深い愛情を、莫大な遺産として受け継ぎます。
そしてその遺産は使っても使っても減ることがなく、使えば使うほど増えていくのです。
父には、自分を犠牲にしながらも、献身的に、無条件に、心の底から父を大切に思い、誠心誠意尽くした母がいました。
父はそのような母と結婚したことが何よりも幸運な一生だったと家族は信じて疑いません。
天使になった父と私たち家族は永遠につながり、そしていつの日かまた天国で再会できるのを楽しみにしています。
たくさんの温かい励ましのメッセージを送ってくださった方々に改めて御礼申し上げます。とても慰められました。ありがとうございます。
また、自分のことのように共感して一緒に泣いてくれた友人たち、本当にありがとう。皆の顔を見ただけでとっても心が落ち着いて嬉しかったよ。
この記事で初めて訃報を知った皆さまには突然のことでご連絡できなかったことをお詫び申し上げます。
これからは父に叱られないように日々大切に生き、母を大事にしていきたいと思います。
この後は父が亡くなる直前に書いた記事をまず投稿させていただきます。
以前と全く変わらないメーテルの日常が始まりますので、これからも変わりなく応援していただければ嬉しいです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



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